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2024/11/15 09:40訃報

〈続報・動画〉三笠宮妃百合子さまご逝去、皇室最高齢101歳 母子支援に尽力

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三笠宮妃百合子さま

 三笠宮妃百合子さまが15日午前6時32分、入院先の東京都中央区の聖路加国際病院で亡くなられた。現在の皇室最高齢で101歳だった。宮内庁が発表した。上皇さまの叔母に当たる。太平洋戦争開戦直前に結婚して皇室に入り、夫の三笠宮が2016年に100歳で亡くなるまで75年間連れ添った。公務では社会福祉法人「母子愛育会」の総裁を長年務め、出産や育児に携わる人たちの支援に尽力した。

 宮内庁は葬儀の日取りや場所を検討する。皇室の構成は16人となった。

 百合子さまは脳梗塞と誤嚥性肺炎で3月3日から入院し、治療を続けていた。今月7日の検査で、心臓や腎臓など全身の機能が低下していることが分かった。

 百合子さまは1923年6月4日、高木正得子爵の次女として生まれた。女子学習院本科を卒業し、41年10月に昭和天皇の末弟三笠宮と結婚した。5人の子に恵まれた。

 2002年に三男高円宮、12年に長男寛仁親王、14年に次男桂宮が亡くなり、息子全員に先立たれた。長女甯子(やすこ)さんは日本赤十字社名誉社長の近衞忠煇氏、次女・容子さんは茶道裏千家の家元の千宗室氏とそれぞれ結婚した。

 公務では、戦後間もない1948年から約60年にわたり、母子愛育会の総裁を務めたほか、日本赤十字社の名誉副総裁も務めた。

 近年は、住まいの宮邸がある東京・元赤坂の赤坂御用地を車いすで散策するなど穏やかに暮らし、ひ孫の成長を楽しみに過ごしていた。


 【皇室の構成】天皇とそれ以外の皇族で構成する皇室は、三笠宮妃百合子さまが亡くなり16人に減った。高齢化が進み、上皇さまと上皇后美智子さまはいずれも90歳、常陸宮ご夫妻は80代となっている。未婚の女性皇族は、天皇、皇后両陛下の長女愛子さま、秋篠宮家の次女佳子さま、故寛仁親王の長女・彬子さま、次女・瑶子さま、高円宮家の長女・承子さまの5人。皇室典範は、天皇や皇族以外と結婚した場合、皇族の身分を離れると規定する。皇位継承資格者は継承順1位の秋篠宮さま、2位の秋篠宮家の長男悠仁さま、3位の常陸宮さまの3人。





◆―― 旧華族、18歳で皇室入り 5人の子育てる
 三笠宮妃百合子さまは旧華族の出身で、大正生まれの最後の皇族だった。18歳で結婚して皇室に入り、三笠宮との間に5人の子どもに恵まれた。

 父は貴族院議員だった高木正得子爵。母方の祖父・入江為守は、昭和天皇の皇太子時代に東宮侍従長、大正天皇没後に皇太后となった貞明皇后の側近トップを務めた。叔父の入江相政は昭和天皇即位後の侍従長となるなど、皇室と深い関わりがあった。

 相政の日記には、家族の催しで踊りを披露する幼い百合子さまの姿が「かわいい、かわいい」と記されている。こうした環境の中で貞明皇后の目に留まり、三笠宮との縁談が進んだ。

 結婚は1941年10月。太平洋戦争の開戦目前で、結婚式も三笠宮の兄らに比べ質素だった。

 現東京都港区にあった三笠宮邸に住み、44年4月に長女・近衛甯子さんを授かった。激しい空襲の下、赤ん坊を抱えて防空壕に飛び込むこともあった。45年5月に宮邸が空襲で焼けた時は長男寛仁親王を身ごもっていた。その後は防空壕で暮らし、終戦を迎えたという。

 次男・桂宮、次女・千容子さん、三男・高円宮が生まれ、にぎやかな家庭を築いた。

 百合子さまは2023年、100歳の際に公表した感想で「家族の思い出となる記録を残したいと思い、家族一人一人の歩みが分かるように写真アルバムを作成したり、5人の子供たちの育児日誌をつけたりと、時間に追われながらも充実した毎日を過ごしておりました」と振り返った。

 夫妻で公務に携わり、古代オリエント学者の三笠宮が史跡調査で海外訪問する際は同行した。

◆―― 市民から悼む声 早朝、皇族ら駆け付け
 三笠宮妃百合子さまが15日早朝に亡くなられ、入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)には皇族らが駆け付けた。病院や住まいのある東京・元赤坂の赤坂御用地では、市民らから「残念だ」と悼む声が上がった。

 病院の前では雨が降る中、報道陣が集まった。関係車両が出入りし、警察官が周辺の警備に当たった。午前9時ごろ、車の後部座席に乗った孫で故寛仁親王の長女彬子さまが沈痛な表情で病院へ入った。

 病院を訪れた中央区の会社役員・藤岡康雄さん(61)は「昭和という激動の時代を生き抜き、皇室の一員として慈善活動などで貢献していたので残念だ」と話した。夫の通院に連れ添った女性(83)は「いつ見ても品があり、きれいな方だった」と惜しんだ。

 赤坂御用地でも宮内庁職員らが巽門から慌ただしく入る様子が見られた。

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孫の彬子さまとアルバムを見られる三笠宮妃百合子さま=2022年5月19日、東京・元赤坂の宮邸(宮内庁提供)

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赤坂御用地を散策される三笠宮ご夫妻=2015年11月16日(宮内庁提供)

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「結婚の儀」正装姿の三笠宮ご夫妻=1941年10月

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避暑中の長野県・軽井沢で歓談される(左から)昭和天皇、香淳皇后、三笠宮、百合子さま(右側の洋装姿)=1955年7月27日

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子どもたちと写真に納まる三笠宮妃百合子さま。右から寛仁親王、桂宮、高円宮、百合子さま、千容子さん。後方は近衛甯子さん=1955年10月31日

記事写真6

スリランカ(当時セイロン)を訪問、伝統舞踊の歓迎を受けられる三笠宮ご夫妻=1956年8月(共同)

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