中央・入江地区の活性化を願いテープカットで幕開けしたむろらん広域センタービル
「オール室蘭」で建設、胆振支庁が初の賃貸入居
長年の懸案事項でもあった、室蘭商工会議所の事務所は、室蘭産業会館の誕生で解決を見た。その後、2009年に竣(しゅん)工したむろらん広域センタービルに移転することとなるが、広域ビルの設立は、道の支庁制度改革がからみ合い、解決までに10年近くを要することとなる。
そもそもは、胆振支庁合同庁舎の老朽化が要因だった。1997年、道が改築場所を入江地区に決定すると、室蘭市は建設用地として約2万3千平方メートルを先行取得。中央、入江両地区を一体化させる市のレインボー計画の中央土地区画整理事業では、道路の拡幅や店舗・居住区域の整備が相次いで行われており、合同庁舎建設が最後のピースだった。
ただ、道の厳しい財政事情が予断を許さず、新庁舎の建設は一旦(いったん)凍結。2000年7月に公表された支庁制度の1次試案は市町の削減を柱とした内容。胆振・日高統合支庁の所在地は胆振東部(苫東地域)と表記された。胆振管内自治体との合意を得て入江地区に決定していたため、西胆振を中心に反対運動が展開。9万人を超える署名が集まった。
胆振東部への移転に待ったをかけたのが地元組織。行政や経済界はもちろん、労働者団体や町内会、商店街、女性団体などの代表者でつくる期成会が、オール室蘭で建設した広域ビルに胆振支庁が賃貸方式で入居するプランを提案した。
道としても、大規模事務庁舎の建設費と維持管理経費、家賃コストを比較して、財政負担を抑えられることなどを受けて、入居を決定。道としては出先機関が民間建設のビルに賃貸入居する初の取り組み。06年2月末、当時の高橋はるみ知事が新宮正志室蘭市長らに直接伝えた。
むろらん広域センタービル株式会社が建設。市や商議所などが出資。工事は地域経済の活性化に向けて、地元企業の活用と受注機会を拡大する制限付き一般競争入札が行われ、関連工事での地元企業の一層の活用を要請。
広域ビルは08年3月着工、09年2月に完成。胆振支庁や民間企業などが入り船出を迎えた。道が支庁改築場所を決定して13年目、誘致運動から9年目の悲願達成だった。
一方、支庁制度改革はこの間、紆余曲折を経た。支庁廃止が見込まれる地域の首長らから慎重な議論を求める意見が噴出した。最終的には、全14支庁は総合振興局と振興局へと組織変更された。
広域ビルが誕生する一方で、昭和の発展期を支えた室蘭産業会館が大きな岐路を迎えた。
1957年の完成から室蘭経済の顔としてまちを見続けてきたが、半世紀が過ぎて老朽化が課題となっていた。活用、譲渡、解体の3点で検討を進めたが、腐食が著しいことから解体が決まった。
鉄筋コンクリート6階建て。延べ床面積約3100平方メートル。往時は室蘭駅前の一等地にあり、室蘭経済の発展を見据えてきた。
広域ビルの完成から5年後の2014年、室蘭産業会館の解体が終了。地元の経済発展を見つめてきた役割を、静かに終えた。