激動の時代を乗り越えて、現在は津軽海峡フェリーの室蘭-青森航路が就航している
休廃止・復活、幾多の荒波 最大5、今は1航路のみ
ロシア通商使節の根室来航から4年後の1796年と翌年、イギリスの太平洋探検船「プロビデンス号」が室蘭に到着した。230年ほど前に国際舞台に登場した室蘭港は、経済発展を支えてきた。このうち、フェリーの歴史はここ60年ほど。1967年の室蘭-青森航路の開設で始まったが、現在に至るまで多くの荒波を乗り越えて今の航路がある。
石炭の積み出し港から始まり、戦後は堅調な貨物輸送を背景に、東北地方以北では初となる特定重要港湾に指定された。選定基準として重要視される外国貿易も道内の7割を扱うなど、拠点港としての存在感が高まっていた。
本格的にフェリー基地としての立ち位置を確立したのは、1979年開設の室蘭-八戸航路。20年近くの要請活動を通しての就航。苫小牧港が飽和状態であることや、フェリー船の建造時期を迎えていたことなどが重なり、東日本フェリーの新造船「べすた」が室八航路に投入されることとなった。
室八航路は、東北との直結により経済効果への期待と同時に、北関東、首都圏をもエリアとした流通機能確保にステージが移る。ターゲットは茨城県大洗港。道内他港も虎視眈々と大洗港との誘致運動を展開。特に苫小牧港との争奪戦は“苫蘭戦争”とも呼ばれた。運輸省が船会社をヒアリング。結果として、大洗から室蘭、苫小牧双方の航路が開設されることになった。
室蘭-大洗航路は東日本フェリーが運航するが、室蘭のフェリー界はここから激動の時代に入る。2000年代に入ってから東日本フェリーの航路存続問題に始まり、支援企業への吸収合併、室蘭-八戸、青森航路の休廃止が矢継ぎ早に進んだ。室蘭-青森航路は燃料高騰がコストを引き上げた。この間、室蘭-直江津航路なども廃止されており、最大五つあった航路は、08年に全て姿を消した。
航路復活の報は、7年後。15年3月に川崎近海汽船が室蘭港と岩手県宮古港を結ぶカーフェリー新航路の開設検討を発表。ドライバーに8時間の休息を求める労務管理問題に加えて、東日本大震災からの復興を目指す三陸沿岸で進められていた道路整備網を背景に、県内初の航路誘致を目指す宮古市サイドの思惑と合致した。
18年6月に就航した宮蘭航路は、三陸沿岸道路の整備が遅れたことで 宮古寄港を休止。室蘭-八戸の往復に切り替えたが、22年2月に休止。再び就航ゼロとなるが、津軽海峡フェリーが23年2月に室蘭-青森港の結ぶ航路開設を発表。室八航路の休止からわずか1年での復活劇だった。
津軽海峡フェリーの航路は、働き改革関連法による2024年問題の対応に加えて、運送業者から新航路開設の要望があったことが要因。同年10月、室蘭からの第1便が青森港へと出発した。
室蘭港を舞台とした航路開設は、船会社の動向や社会情勢を大きく反映させていた。何より、地元関係者の中央陳情やポートセールスといった粘り強い活動が、実現を後押ししたことは言うまでもない。