白鳥大橋の開通式。構想から40年余の時を経て、全市民待望のインフラが整った
構想40年余、東日本最長 故猪瀬氏の「初夢」実現
室蘭はサークル都市と称される。コの字型、馬蹄(ばてい)形とも呼ばれる独特な地形で、1998年6月13日に完成した白鳥大橋の誕生は、輪を形成する最後のピースとなった。スムーズな交通網の確保による円滑な物流に加えて、市内全域へのアクセス、インフラツーリズムとしての活用といったさまざまな側面を見せている。市民生活も支える東日本最長のつり橋は、市民や関係者の思いをのせて構想から40年余かけて完成した。
誕生のきっかけは、51年に初代室蘭開発建設部長に着任した故猪瀬寧雄氏の一言だった。後に北海道開発局長、北海道開発庁事務次官に昇り詰めた専門家は、室蘭の将来を展望してコの字型に限界を感じ、室蘭港をまたぐ橋の建設を思いついた。
猪瀬氏の発案は、室蘭民報の55年新年号「私の初夢特集」で、「室蘭港湾口架橋構想」として紹介された。構想は後に室蘭開建部長、道知事を務めた堂垣内尚弘氏にも引き継がれた。大きなまち場の話題となると、経済界や関係官庁を中心に期成会や研究会が次々と立ち上がった。
中央省庁への陳情も重ねて、全市民が熱望した結果、80年12月末の予算折衝の場で白鳥大橋着工のゴーサインが出た。81年度の事業費は1億3600万円。1期工事の測量や地質調査、測量試験を皮切りに事業が進んだ。85年9月に待望の着工となった。
工事期間は実に13年9カ月に及んだ。白鳥大橋は国内の積雪寒冷地に建設される初めての長大橋。冬の室蘭港は雪のみならず強風も吹き荒れることから、ケーブルや主塔など高所の工事は冬期間中断された。厳しい気象条件に置かれる白鳥大橋は、雪国のあらゆるハンディを乗り越えての開通だった。
昨年、開通25周年を迎えてなお、サークル都市を印象付ける存在として、日常生活に欠かせない。1日当たりの交通量は1万台を超えており、1分1秒を争う救急患者の搬送や医療連携の面でも大きな役割を果たす。道央道が近いことで物流面での寄与も大きく、交通混雑も解消された。
節目には白鳥大橋を舞台としたハーフマラソンやトライアスロン、ウオーキングなどのイベントが開催された。スワンフェスタは完成を記念したイベントとして定着。近年はインフラツーリズムの一つとして知られており、スターマリンが実施する主塔登頂クルーズには24年度から「TEPPENプラン」が登場。中間地点まで昇る標準プランに加えて、文字通り“てっぺん”からの絶景を楽しむルートが設けられており、室蘭観光の新たなツールとして注目されている。
81年9月27日、市内で着工記念式典・祝賀会が行われた。関係者500人が出席する中、会場には猪瀬氏の姿があった。
猪瀬氏は白鳥大橋の完成を見ずにこの世を去ったが、猪瀬氏が正月に語った初夢が正夢となり、未来へとつなぐ架け橋となり、室蘭の行く末を見守っている。