記念すべき1回目の港祭りは戦後復興ヘの思いが色濃く反映されていた
終戦翌年、復興冠に挙行 港都のイベント今に続く
室蘭の真夏の祭典・むろらん港まつり。今年で第78回を迎えるが、初回は戦後復興への思いが色濃く反映されていた。戦時中に機密保護法などにより景勝宣伝活動が禁止されており、自然消滅していた室蘭観光協会の復活が何より求められていた。
戦後復興の一環で観光による活性化が位置づけられて、終戦翌年に北海道観光連盟が発足すると、道内各地でも復活の動きが相次いだ。室蘭でも再発足を要望する声が高まり、市や商工経済会室蘭支部などの思いが実を結び、1946年5月に創立総会が開かれた。会長に市長、副会長に商工経済会室蘭支部長と繊維製品配給統制組合理事長を選任。事務所は室蘭支部内に置いた。
終戦当時は敗戦による暗いムードが続いたことで、商工経済会室蘭支部から名前が変わった室蘭商工会議所が、沈滞気分一掃を図る機会として企画した。戦前から横浜や長崎、函館などの港まちにあった形式ではなく、復興を冠に掲げて港への再認識と恩恵に感謝する意味合いを表していた。
第1回復興港祭りとして、海の日(7月20日)をはさんだ47年7月19~25日の日程で行われた。終戦後初となる大がかりな祭典は、仮装行列や商店街装飾、市民踊り、写真展、移動音楽会、民謡・歌謡コンクールなどが催された。期間を置かずに行われた室蘭八幡宮祭典と貿易再開記念式典も盛況で、多くの市民の気持ちを駆り立てるには十分過ぎる成果を残した。
48年の第2回開催で早くも復興の文字が外れて、むろらん港まつりへと改称。50年には室蘭音頭が初披露された。室蘭商議所が全国から歌詞を募集して選定。絵鞆半島の景勝に抱かれた港と鉄のまち室蘭を5節分けて歌っている。
?ハア伸びる室蘭 伸びる室蘭 世界の波止場 出船入船 ソレ宝船 街ハネ 街は繁昌で ヨイトサノサ 今日も黄金の波がうつ テモ サッテモ ミナトむろらん ヨイトコロ
室蘭の文字などをあしらった港まつり浴衣が登場したのも同時期。以後、52年の室蘭民報社納涼花火大会の初開催、61年の室蘭商工まつりとの合併による商工港まつりへの改称を経て、67年に現在の名称であるむろらん港まつりへと再度変わって以降、港都室蘭の一大イベントとして親しまれている。
72年に初披露された「室蘭ばやし」は、開港100年市制施行50周年を記念してつくられた。歌は北島三郎。総参加市民おどりの導き手となる曲は、今なお市民に親しまれている。「北海盆唄」と合わせて、7月末の3日間、脳内リピートしている楽曲だ。