北海道商工会議所連合会の室蘭開催など現在につながる多くの活動が行われてきた
法施行で商工会議所に 多彩な事業が現在の礎に
第一次世界大戦に伴う産業奨励策で企業規模が増大した一方で、大戦終了後の反動不況に加えて関東大震災や金融恐慌もあり、国内経済は一層の困難を極めた。経済界の代表として、国全体を見据えた建議活動は重要性を増しており、不況脱出と経済発展に対応した会議所制度の確立と常設化の機運は、今まで以上に高まっていた。
1927年4月、商工会議所法が公布されて、翌28年元日に施行された。商業者のみの団体と見られがちだったが、商工鉱業全般の総合的な代表機関として、商工会議所と改められた。同年4月、日本商工会議所の創立総会が開かれた。室蘭からは楢崎平太郎会頭らが出席した。
室蘭商業会議所も同法に基づき、室蘭商工会議所として新たに発足した。従来の特別議員は自然消滅して、代わりに顧問を置くこととなり、書記長は理事と改称された。第2回議員選挙(商工会議所としては初)が同年12月に行われ、楢崎会頭が再任された。
当時の活動を見ると、現在につながる項目も多い。店舗装飾講習会や木工講習会、税務座談会といった事業に加えて、北海道商工会議所連合会の室蘭開催などがある。市内経済調査、生産額生活必需品統計調査なども実施されている。
陳情も行い、商工会議所内に相談事業の開拓と門戸開放を目指して、37年に商工相談所を開設した。重点事業の一つであり、一時国の補助金は打ち切られたものの、中断することなく太平洋戦争終結まで継続している。現在の中小企業相談所につながる取り組みだ。
会議所機能の強化と並行して、経済界では会議所と連動して業界発展や組織強化を目指す新たな団体を構築する動きも出た。市内商工業組合でつくる室蘭実業組合連合会が28年に発足した。発起人は会議所、市、室蘭実業青年会など。
複数団体の改組や再編があったほか、市や商工会議所、大手企業を中心として、31年4月に室蘭宣伝協会も発足した。会長に市長、副会長に会頭を選任。主要事業は、印刷物による宣伝。景勝地を取り入れた印刷物も刊行した。測量山から地球岬につながる観光道路の整備、案内地図を室蘭駅に設置したほか、マスイチ浜やトッカリショなどに東屋や見晴らし台も整備した。風景写真を道内外の写真展に出店したことで、観光客の呼び水となった。37年に室蘭観光協会に改称。現在の炭鉄港や工場夜景、室蘭グルメ発信といった観光振興の取り組みは、戦前から脈々と受け継がれる産物である。