長く中央町のシンボルだった浜町アーケードは1969年に整備された
中央町の近代化進める/難問解決に力を尽くす
室蘭商工会議所会頭を7期18年務めた徳中祐満氏が1966年8月5日に逝去。商議所と室蘭市議会、自民党北海道連合会、道南バスとの合同葬が行われた直後の議員総会で、水田正氏が会頭に選ばれた。
水田氏は会頭就任以前、通算15年ほどの副会頭を務めた経験があり、白羽の矢が立った。
水田氏就任時、蘭西地区の商店街に大きな動きがあった。一つは駐車場の確保。中央町の近代化に合わせて、土地の計画的な有効利用が求められており、市文化センター2期工事に関連して地下に駐車場を建設することでまとまった。発起人代表だった徳中氏が急逝したことで、小売商業部会が中心となり計画遂行を引き継ぐこととなった。
また、長く中央町商店街のシンボルであった浜町アーケードが誕生したのが69年。地元商業者が中心となり視察や建設審議を重ねた。構想から約10年を要しており、全長292メートルの近代的な全路面アーケードが「見る街・買う街・遊ぶ街」として親しまれた。
70年3月の議員総会で、栗林徳光氏が会頭に就任した。当時48歳での就任は道内で最も若い会頭。「商議所の使命は地域経済団体の発展向上に尽きる。全国、世界的にも各会議所との交流を密にして躍進に努力したい」と就任時に意気込みを示した通り、行政への提言に力を入れて経済界と一体で難問解決に力を尽くす。
71年のドルショックによる好況の断ち切れ、72年後半からの鉄鋼需要による好況と振れ幅が大きかった時代。北海道総合開発計画の展開を重要視して、都市基盤整備や地域経済振興を中心に具体的な行動を進めた。
全道商工会議所大会で、室蘭商議所が提案した北海道縦貫自動車道の建設や室蘭・札幌間(美笛経由)道路の建設、北海道地方道路公社の設立が採択された。これらは室蘭港外港の築設促進、北海道新幹線鉄道の建設などとともに、北海道開発庁など関係先への重点要請運動として行われた。
委員会や部会でも先進地視察や工業用地の新規開発、室蘭観光開発促進、市総合基本計画への対応について検討を重ね、その都度、市への提案・要望事項として実現化を要請した。
市が中央地区再開発問題を検討すると、商議所は中央町再開発専門委員会を立ち上げた。市が構想試案を公表するのに合わせ、商議所は具体的な検討へ二つの小委員会を設けて地元側の意見を取りまとめた。
国が打ち出した地方開発施策に対しても、登別、伊達両商議所とともに連絡協議会を立ち上げた。西胆振全体での連携を念頭に置いており、地域一帯での課題解決へタッグを組んだ。
栗林氏は73年で会頭を終えたが、85年から再登板してかじ取り役を担うことになる。