仏坂下に設けた室蘭停車場(中央)
室蘭-輪西待望の延伸 多くの労働者、まち活気
発展の礎となった鉄道の室蘭線は、室蘭港エトツケレップ(現在の御崎町)を起点として輪西屯田村を通り、海岸沿いに登別、苫小牧と進み岩見沢に到達するルート。悲願を乗せた工事は1890年1月、用地買収と官有地払い下げ手続きといった許可から始まり、トンネルや橋などの測量が相次いで行われた。
本格的な工事は岩見沢-歌志内間、砂川-空知太(滝川)で同年5月末から、10月20日には室蘭方面からも始まった。91年に幹線の土木工事の大半を終えた。92年3月にレールの敷設が完了。室蘭や幌別、登別、白老など8停車場の整備が進み、8月1日に134・5キロメートルの第一区線が開業した。この間、線路新設位置変更に伴い北海道炭鉱鉄道(北炭)社長更迭の事態を招いたが、無事に完成を見た。
エトツケレップの桟橋や鉄道工事が始まると、多くの労働者が室蘭入りしたことで、長引く不況から徐々に脱出した。
92年7月30日、室蘭鉄道の開業免許が下りて、8月1日から営業。室蘭停車場は現在の日本製鉄北日本製鉄所室蘭地区の近くに設けられ、一般旅客の取り扱いも開始した。エトツケレップに貨物の専用駅を置き、かつて湾内にあった蛇島まで支線を引き込んで、石炭の積み出しが始まった。鉄道開通と石炭積み出し港としての第一歩だった。
当時、母恋地区に海軍用地があったことで、政府は90年に室蘭港を第5海軍鎮守府に定めた。91年には第5海軍区の軍港に指定されていた。軍事上の理由から、鉄道の延長は輪西までで打ち切られて、室蘭までは許可されなかった。
青森-函館航路が室蘭まで延長となったが、定期船の入港は夕方。まだ夜行列車がなく、札幌方面などへは翌朝の便で向かう必要があった。利便性向上へ室蘭までの線路延長を求める声は日増しに大きくなり、95年、北炭の臨時株主総会で室蘭市街地へ約5キロメートル、線路を延長することを決議。96年には千歳町(現在の中央町)や入江町、海岸町の埋め立て工事が行われ、仏坂トンネルが開通した。97年6月に線路の敷設が終わり、仏坂下に設けた停車場を新たに室蘭停車場とした。従来の停車場は輪西停車場に改められた。7月1日から新駅が開業し、港周辺で待望論が広がっていた室蘭-輪西間の鉄路が実現した。