
2002年8月、来日し記者会見するアーミテージ米国務副長官=東京・赤坂の米大使館(ロイター=共同)
【ワシントン共同】米国有数の知日派で、日本の集団的自衛権行使による同盟強化を訴えたリチャード・アーミテージ元国務副長官が13日、肺塞栓症のため死去した。79歳だった。アーミテージさんのコンサルティング会社が発表した。
2000年、ジョセフ・ナイ元国防次官補と共同議長を務めた超党派グループで、日本の集団的自衛権行使などを提案した「アーミテージ報告書」を発表し、日米で大きな注目を浴びた。
共和党の安全保障政策の重鎮で、一貫して日本の防衛面における役割拡大を訴え続けた。人脈は日本などアジアの高官にも幅広く及んだ。
1945年、東部マサチューセッツ州ボストン生まれ。67年に海軍兵学校を卒業。海軍勤務などを経て、83~89年にレーガン、ブッシュ(父)両共和党政権で国際安全保障問題担当の国防次官補を務めた。
99年に超党派の安保専門家らによる報告書「北朝鮮への包括的なアプローチ」を座長として発表。2001~05年にブッシュ(子)共和党政権で国務副長官を務め、米中枢同時テロ後のイラク戦争を巡る混乱収拾や在日米軍再編問題に取り組んだ。
同時テロ直後、日本側に「ショー・ザ・フラッグ(日の丸を見せろ)」と伝えたとされ、日本のテロ対策特別措置法につながった。03年開戦のイラク戦争でも「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊派遣を)」と迫り、日本は人道復興支援目的で陸上自衛隊をイラク南部サマワに送った。
その後はコンサルティング会社を中心に活動。影響力の大きさから外圧で日本の安保政策を左右しているとの批判もあった。
◆―― 「9条は障害」日本に苦言 陰の政策決定者と批判も
日本に対し言いにくいこともはっきりと主張してきた。「個人的な考えで、一貫して主張していることだが、憲法9条は日米同盟協力にとって障害だ」。13日死去したアーミテージ元米国務副長官は共同通信の取材に、最終的には日本の判断だと留保しつつ、こう明言していた。あまりの影響力から日本の安全保障政策を陰で決めているとの批判も出るほどだった。
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2000年に、第1弾の「アーミテージ報告書」を、同じく「ジャパン・ハンドラー(日本屋)」と呼ばれる知日派の重鎮ジョセフ・ナイ元国防次官補らと共に発表。「集団的自衛権の行使容認」などの「外圧」は大きな注目を浴びた。報告書はその後も出され、日本の安保政策に反映されてきた。
報告書の超党派グループメンバーは次々と政権入り。国外の高官らと幅広い人脈を誇った。
1983年にレーガン共和党政権で国際安全保障問題担当の国防次官補に就任。上院軍事委員会の人事承認公聴会で、東アジアは「比較的平和」であるため、北朝鮮などの軍事力の脅威に対応する防衛力充実の必要性を日本などに自覚させることが難しいと証言したこともあった。
国務副長官時代などを通じて、米軍と自衛隊の一体運用など、日米同盟強化を主張し続けた。2013年に取材した際、沖縄の米軍基地問題は中国、台湾や北朝鮮の問題に比べれば「小さな問題だ」と強調。「より大きな問題を話し合いたい」と不満を吐露した。
報告書への批判に対しては、米政府や日本政府が同じ考えを持つまで「発表を続ける」と言い切っていた。
◆―― 「傑出した指導者」 CSIS所長が哀悼
【ワシントン共同】米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)のジョン・ハムレ所長は14日の声明で、13日死去したリチャード・アーミテージ元国務副長官を「傑出した指導者だった」と悼み、アジアの安全保障政策専門家の間で「一目置かれる存在だった」と振り返った。アーミテージさんはCSISで15年にわたって理事を務めたという。
ハムレ氏は、アーミテージさんがナイ元国防次官補らと共にまとめ、2000年から24年まで6回発行した超党派の報告書について、日米の安保関係を扱った「画期的」なものだったとし「重要な安保パートナーシップの目覚ましい発展を描いた」とたたえた。