
新しくなった看板と石碑
登別市教育委員会は、富浦町の富浦墓地隣にある1881年に明治天皇が北海道巡幸で市内を訪れたことを記念して建立された石碑「明治十四年御駐蹕(ちゅうひつ)之地」の解説看板を更新した。石碑の由来を加筆した上で、建立した人たちの解説や関連する資料、石碑を写真で新たに紹介している。
「明治天皇御巡幸記」(1930年、北海道庁編)によると、明治天皇一行は8月30日に小樽に上陸し、札幌、苫小牧、白老などを経て9月4日に登別に入った。馬車が現在の登別小学校付近に差しかかると、坂道が急でなかなか進めないため、地元住民数十人が手伝った-との記録が残る。
駐蹕は天皇が移動中に一時乗り物を止めること、または一時その土地に滞在することを表し、市内では富浦町のほか、中央町の刈田神社境内、鷲別町の国道沿いに同様の石碑がある。
富浦町の石碑は、1911年に大正天皇が皇太子時代に道内を訪問したことに合わせ、登別青年会が発起人となり、地元有志らによって建てられた。石碑の台には発起人や建設した人の名前が刻まれている。
看板は90年に設置したものが経年劣化により、埋設部分の腐食で根本が折れ、大きく傾いていたことから、2023年5月に撤去していたが、今年3月に内容を更新した新しい看板を設置した。
新しい看板は発起人の記述と、1933年から戦後まで、登別市(当時幌別村)では9月4日を開村記念日としていたことを解説文に加えた。さらに、市内の残された行幸文書や他の二つの石碑の写真とQRコードを掲載。全文英語で翻訳している。
市教委では「看板を見て市内の歴史散策に興味を持ってもらうことで、全市観光につながれば」と話している。