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2024/09/17 05:00室蘭商工会議所「1世紀総括」

「室蘭商工会議所100周年 経済・商業発展の1世紀総括」第4部・歴代会頭の足跡② 宮幸助氏/栗林徳一氏

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室蘭商議所庁舎で行われた第15回北海道商工会議所連合会の会合

産業界のため貢献努力/航路開設期成会を設立
 2期目を迎えていた初代会頭楢崎平太郎氏は、1931年6月、東京で急逝。創立功労者の小林繁弥氏、栗林五朔氏(栗林商会創業者。楢崎会頭1期目の特別議員)といった支柱を相次いで失った室蘭商工会議所は、同年11月、後任会頭として、宮幸助氏を選出した。

 宮氏は小林氏が会頭を務めた室蘭商工協会時代から常議員として活動。

 宮氏の時代には、念願の商工会議所新庁舎が誕生した。設立当初は室蘭商工協会の事務所があった楢崎倉庫(海岸町)を仮事務所とした。その後28年に室蘭公会堂(同)を市から1万円で購入して移転。32年10月、常盤町にあった市役所旧庁舎の無償譲渡を受けてさらに移転、庁舎とした。

 同時に、路面側に新商店街を形成する布石の位置付けで、商店向けの貸家として2棟6戸を新築した。市の発展と連動して商工業界の飛躍を目指そうとする狙いだった。宮氏は移庁式での式辞で「内容の充実と事務の刷新とを計り以て時代の要求に適合せる施設機関として多事ならんとする本市産業界のため貢献努力を誓わんとする」と寄せた。

 31年の満州事変勃発以降、軍拡体制は臨戦態勢の度合いを深めていった。室蘭でも増産体制が進み、各産業の飛躍期でもあった。2期務めた宮氏の後任として、37年1月の総会で栗林徳一氏が会頭に決定した。

 栗林氏の事業が多忙で中央での活躍が多くなったことから、38年に副会頭2人とする定款に変更。田中義高、臼井邨三郞両氏が副会頭に就いた。また、39年の貴族院議員選挙に立候補した栗林氏がトップ当選。中央政界に進出したことで、政府との距離も近くなった。

 第二次世界大戦へと進むにつれて、軍需産業の拡充など国家統制の色合いが濃くなった。道内から本州への物資輸送も重要視され、航路開設を目指して市と市議会、商議所3者で鉄道省営室蘭港本州間連絡航路開設期成同盟会を設立した。

 室蘭-大畑(青森)航路の実現に力点を置いており、栗林氏は副会長に就任。会員には道内自治体の首長や商議所、関係団体などが広く網羅されていた。

 当時の結成式での宣言には「本道資源開発の予想と生産力拡充の方策に鑑みるときは更に本道本州間連絡航路開設の緊要なるは多言を要せず、是が為には室蘭港を起点とし是と最短距離に在る青森県下北半島中の要港との航路開設を最も適切なるものと信ず」とあり、並々ならぬ決意がうかがえる。

 栗林氏は43年まで会頭を務めた。同年は商工経済会法施行により全ての商工会議所が解散。全会員事業所は北海道商工経済会に組み入れられ、室蘭商議所は北海道商工経済会室蘭支部となった。その後、終戦に向けて激動の時代が続いた。

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宮幸助氏

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栗林徳一氏

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