第2次大戦末期に石炭運搬の現場を激励する土居通次室蘭市長(左)
業界統制一段と強化 本土空襲、室蘭も大被害
室蘭発展の礎となったものづくりや石炭輸送は道内経済をけん引する要因となり、第1次世界大戦後の反動不況、満州事変勃発という荒波をいくつも乗り越えてきた。そして第2次大戦を迎える。国内を支えてきた基幹産業は、もれなく戦時統制の渦に巻き込まれながら終戦を迎えた。
中小商業がそうだったように、各業界でも統制を強いられた。顕著だったのは海運業。日中戦争開戦と同時期に結成された海運自治連盟は大手海運7社の運賃、船料抑制が狙い。1940年に発足した海運中央統制輸送組合は、政府の輸送計画に基づき石炭や鉄鋼など指定需要物資の輸送に当たる実施機関として、国内95の運航業者、小型汽船統制輸送組合で組織。道内からは栗林商船など11社が参画。室蘭港でも輸送組合設立と同時に栗林商船内に支部が設けられた。
後に国が一元的に運営する特殊法人・船舶運営会が発足したことで民間統制としての役割を終えたが、重要物資の輸送配船などに従事してきた。
船舶運営会は室蘭市内にも出張所を設けた。当初、船舶運航を代理店などに委託して、出張所としては監督機能のみだったが、後に運航管理を全面的に掌握した。室蘭は支部に昇格して釧路出張所も統括。同時に船会社4社と出先機関も吸収した。国家使用船の運航管理に加えて、徴用船員の指揮監督、修繕など船舶に関わる一切の業務を取り扱うこととなった。
海運への国家統制と軍支配の強化は、戦時での民間経済が崩壊しつつあることを物語った。加えて、マリアナ沖海戦やサイパン島での敗北により、日本本土への空襲が本格化することになる。北海道周辺海域では潜水艦による攻撃も行われるようになり、船舶不足が喫緊の課題として浮上した。
他業種と同様に、政府は港湾運送業等統制令を出した。全国の荷役運送などに携わる事業者が125の統制会社に整理・統合された。室蘭では北海道炭鉱汽船が設立した北海道石炭荷役(北荷)が設備会社として誕生。このほか石炭荷役などで日鉄輪西港運、室蘭石炭港運、室蘭港運の統制会社が立ち上がった。
まち場で第1、2次疎開が行われたように、日本製鋼所でも分散疎開が行われた。もともと工場防衛については30年代から進められており、後半には室蘭製作所に防空課を設置。重要軍需工場としての防衛と生産達成が進められた。第2次大戦末期に国内初の本土空襲となる八幡空襲が行われたことから、日鋼でも施設の分散・疎開命令が出された。
この間、物資統制は生鮮食料品の水産物も対象となり、室蘭産物市場は政府の代行機関となった。室蘭鮮魚介配給統制と改称。代行機関として北海道水産業会が事業の一切を吸収運営することとなった。金融機関も日銀を中心として統一的に運用されることとなり、商業界は資金の枯渇に直面した。
さまざまな統制が進められる中、室蘭は45年7月14、15日に相次いで空襲と艦砲射撃に見舞われた。市内では尊い人命が多数奪われる一方、工場や周辺民家も甚大な被害を受けた。
道内各地から義勇隊が入り復旧作業が進められた1カ月後、8月15日に終戦を迎えた。国民を苦しめた戦時統制も、やっと終わりを迎えることとなった。
(第2部おわり)