横綱照ノ富士
◆―― 優勝10度、在位21場所
大相撲で優勝10度の第73代横綱照ノ富士(33)=本名・杉野森正山、モンゴル出身、伊勢ケ浜部屋=が初場所6日目の17日、現役を引退した。同日の日本相撲協会理事会で引退と年寄「照ノ富士」の襲名が承認され、今後は後進の指導に当たる。横綱は現役引退から5年間はしこ名のまま親方になれる資格がある。17日午後に東京・両国国技館で記者会見する。
照ノ富士は23歳で新大関に昇進したが、両膝のけがや内臓疾患の影響で序二段まで転落。不屈の闘志で復活を果たし、2021年名古屋場所後に最高位に就いた。昨年の名古屋場所で史上15人目の2桁優勝を遂げたが、横綱在位21場所で休場は13度と故障に苦しんだ。
横綱の引退は21年9月の白鵬以来。今場所後に昇進する力士が出なければ、来場所は1993年初場所以来の横綱空位となる。
相撲留学した鳥取城北高から間垣部屋に入門した照ノ富士は2011年5月の技量審査場所で初土俵。部屋閉鎖で13年春場所後に伊勢ケ浜部屋へ転籍し、大きな体を生かした力強い右四つの取り口を開花させた。親方になる条件の日本国籍は21年8月に取得していた。通算成績は523勝275敗231休。三賞は殊勲賞、敢闘賞、技能賞を各3度獲得した。
◆―― 不退転の覚悟だった初場所 満身創痍、体限界に
照ノ富士は「駄目だったら駄目で、結果はどうなろうと認めるしかない」と不退転の覚悟で初場所に臨んでいた。現役最後の一番となった4日目は翔猿に背中を向け、送り出されて完敗。度重なる苦難を乗り越えてきた満身創痍の体は限界に達していた。
苦しみながら初白星をつかんだ2日目の取組後だった。妻や長男ら家族を国技館に招いていたことを自ら切り出した。「今場所はやれることをやって駄目だったらいい。自分の全てを出し切ってやりたいと思っている。後先考えずやりたい」。今場所が最後の土俵になるかもしれないとの決意をうかがわせていた。
両膝のけがや内臓疾患の影響で大関から序二段に転落しながら、奇跡的なカムバックで最高位を射止めた。昨年7月の名古屋場所で目標としてきた10度目の優勝を達成。3年以上にわたって一人横綱の重責を担い、体力も気力も尽きた。
相撲を取る際は両膝に大きなサポーターが欠かせず、最後は痛々しさすらあった。「人に無理だと言われたことに挑戦するのが自分だ」。不屈の横綱が激動の力士人生に幕を下ろした。
◆―― 元稀勢「よくカムバック」 照富引退をねぎらう角界
照ノ富士が現役引退した17日、親方衆や力士はねぎらいの言葉を送った。何度も対戦した二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)は「けがと病気と闘いながらよくカムバックした。こんな経験豊富な力士はいない」と述べた。
二所ノ関親方が新横綱の2017年春場所では、照ノ富士との優勝決定戦を制した。左大胸筋負傷に耐えての奮闘が感動を呼んだ一方、相手も膝を痛めていた。同親方は「照ノ富士はあそこから復活した。すごい精神力」とたたえた。
同じ伊勢ケ浜部屋で兄弟子だった安治川親方(元関脇安美錦)は「親方として経験を生かしてほしい」とエールを送り、同じモンゴル出身の幕内玉鷲は「ぼろぼろまで頑張って、すごくいいものを見せてくれた」と話した。