北海道商工経済会室蘭支部時代の庁舎
国策遂行、苦難の道のり 新法公布で組織替えも
決戦ノ段階ニ即応シ国民即戦士ノ覚悟ニ徹シ、国ヲ挙ゲテ精進刻苦ソノ総力ヲ直接戦力増強ノ一点ニ集中シ、当面ノ各緊要施策ノ休息徹底ヲ図ルホカ、左ノ非常措置ヲ講ズ-。
満州事変から日中戦争へとつながり、長期戦突入が決定的となった1938年、国家総動員法が制定。戦時体制への転換が明確化されて、商工会議所の業務も多忙を極めた。挙国体制は経済界も同様。日本商工会議所を中核として産業合理化の推進に努力。国産品愛用運動や商圏擁護運動、軍需産業優先による一般商工業者の廃業問題などが重なり、環境変化に対応しきれなくなる。
戦時統制の影響はじわじわと室蘭に忍び寄る。時局対策の連絡協議を図る経済団体連盟が中央で設立されたことを契機に、道内の商工会議所、商工会単位でも同様の趣旨で対策委員会が設けられた。
当時の商議所の役割を見ると、中小事業者の事業転換や廃失業対策、物資の切符配給制など国策遂行への協力が中心。40年に室蘭で行われた第20回北海道商工会議所連合会での提出案件のうち、激増する道内鉄道運搬への対策と、物資配給機構対策確立は、室蘭からの要望であることに加えて、商議所機能が限界に達しているという窮地の訴えだった。
41年、室蘭商議所は商工相談所を新設した。従来から相談事業の開拓と門戸開放を目指していたが、特に中小事業者の販路拡大などを重視して開設した。国庫からの補助金は42年に打ち切られても終戦まで継続。戦後は中小企業相談所として現在まで続いている。
太平洋戦争に突入してからは、人・物双方の動員へさらに拍車がかかった。43年3月に公布された商工経済会法に基づき、道内の8商議所と88商工会が解散。会員は同年10月設立の北海道商工経済会に組み入れられた。商議所のあった各地区ごとに支部が設置され、室蘭商議所は、北海道商工経済会室蘭支部として発足した。
終戦前年の44年、政府は決戦非常措置要綱を決定。「一億総武装」を宣言した。商工経済界は経済関係法令の周知、経済統制の協力、商工業者の勤労動員に対する連絡・調整、工場や鉱山、農村勤労者への慰問激励など、国策遂行の協力機関となり、戦意高揚の精神運動や耐乏生活の推進などが中心。戦時経済統制の行き詰まりを防ぐものとはならなかった。